【書評】ソニー 失われた20年

ソニー 失われた20年 内側から見た無能と希望

ソニー 失われた20年 内側から見た無能と希望

ソニーの栄枯盛衰を中から見た筆者が、凋落のはじまった出井体制以降を様々な視点から批評するという内容です。愚痴・悪口のような文章にもソニーを思う気持ちがあり、筆者のソニーへの憎愛が感じられる。社員1人の主観ではありますが、メーカーの凋落を知るにはいい本です。
私もメーカーの端くれの人間、業界全体が斜陽にいるなかいくつか共感する部分もあります。

組織の中心は人である

ソニーの凋落はトップの愚策が招いたと断言されています。確かにきっかけはそこでしょう。しかしそれを増幅させたのは他ならぬソニーの社員、”人”です。
私がこれまで会社で出会った管理職の多くは制度・ルール・文化を以って人をマネージメントしようとしていました。秩序は必要です。しかし本人の主体性を窄めてはならない。ここのバランス感覚がどうにも制度・ルール・文化に偏っているのです。組織の中心は人であることを常に考える必要があります。制度・ルール・文化は人が変化・創造するものです。先にあるものではありません。

技術の軽視

これまた多くの管理職は、押しも並べて開発の現場に疎い。我々はマネージメントする立場だ、君も早くマネージメントを覚えたまえという態度。外注をコントロールできるのは外注より技術に詳しい人だけです。でないと、納品物の”質”をどうやって担保するのでしょうか。今のところ、ぎりぎり子会社がそれを担っています。しかし子会社も外注を使って自分たちで手を動かさないわけですから、技術の空洞化は止まらないのです。
私はまだ開発の現場に明るいほうです。具体的な”質”の問題を指摘すると、最近はなかなかそういう人がいなくてとても助かるよ、と言ったりします。助かるよとか言う前に自ら学んでなんとかしようと思わなかったのでしょうか。または自分よりできる後進の育成をしてこなかったのでしょうか。問題から目を背けているか、そもそも問題と思っていないのか、私にはわかりません。

人材育成の不備

いつだって学びは自分自身でやるものです。主体性を以ってPDCAをまわしながら成長するべきなのに、高額な一回こっきりの研修で済まそうとしています。伸びる人は継続して努力する人です。努力の方法や方向はなんであれ、会社はそれを応援しなければ、どちらも成長しません。
管理職は”自分を超える”後進を育成することを考えてください。自分と同じレベルがゴールでは進歩がありません。保身のために育成を怠ると、会社が凋落し、自身の給料を下げることになります。

政治の重要性

日本のメーカーがコンシューマ向け事業から撤退し、インフラなどのB2Bビジネスを中心に据えています。企業向けの大きな仕事や、とりわけ公的市場となると”政治”がものをいいます。技術だけでは生き残れない。ここは私がまだまだ未熟なところです。

諦めない

この世にユートピアはありません。あるのは常に問題と向き合う自分です。諦めるにはまだ早い。